公開日:2018.6.10
1429年から450年の間続いた琉球王国、その最高の聖地と呼ばれたのが斎場御嶽(せいふぁうたき)です。
斎場御嶽は那覇から車で約40分(約20km)、南城市にあります。南城市地域物産館の無料駐車場に車を停め、入場券を購入。
ここから斎場御嶽の入口までは約500m、歩いて8分ほどです。
目の前の信号を渡ります。
郵便局を過ぎて右に曲がります。
ところどころおみやげ屋さんやカフェが。
斎場御嶽の入口、緑の館・セーファに到着です。
緑の館・セーファに入ったらすぐに斎場御嶽の説明と注意点をまとめた、3分ほどの動画を鑑賞します。斎場御嶽はヒールなどのサンダルは禁止です。万が一履いてきてしまった場合は受付でクロックスのような履物を無料で貸してくれます。
琉球信仰では神に仕えるのは女性とされ、神女(ノロ)とよばれる女性司祭が祭祀を取り仕切っていました。琉球王国の時代になると神女も組織化され、その最高位として聞得大君(きこえおおきみ)という役職が設けられました。聞得大君は琉球王と王国を守護するものとされ、国王の妃や娘が務めました。
聞得大君の就任儀式は御新下り(おあらおり)とよばれ、国をあげての一大行事でした。聞得大君をのせた行列は首里城を出発し、各地の御嶽に祈りを奉げながら斎場御嶽にやってきます。真夜中の12時、白朝(シルチョー)をまとった女性たちが斎場御嶽で様々な儀式を行いました。
ここから見える島が久高島。琉球の創成神アマミキヨが降り立ち、国づくりを始めたと伝えられる、神の島。人々はここから神の島に祈りを奉げました。御新下りには久高島から白砂を運び入れ、御嶽全体に敷き詰めていました。
当時の斎場御嶽の入口。斎場御嶽は王府の御嶽であったため、入場できるのは神女に限られていました。男性はここから御嶽に向かって拝みました。6つの香炉は御嶽内の拝所を表しています。斎場御嶽のいくつかの拝所は首里城内の部屋と同じ名前がつけられています。
斎場御嶽に一歩入るとジャングルのような森林が広がっています。
御門口から登ると最初に見える拝所。奥の一段上がったところが大庫理(うふぐーい)です。聞得大君の御新下りではここで御名付けといわれる聖水を額に付ける儀式を行いました。御名付けにより聞得大君は霊力をその身に取り入れ、神と同格になったといわれます。手前の石敷では神女たちが祈りを奉げました。また、首里城にある正殿二階の祭祀を行う格式の高い場所も大庫理という名前が付けられています。
先へ進みます。
首里城では国王のための厨房を意味します。ここでは調理をしたわけではなく、当時貿易の盛んだった琉球では国内外から様々なものが集まる「豊穣の満ち満ちた所」とされていました。第二次世界大戦前まではその年の吉兆を占う馬のかたちをした石が置かれていたそうです。
少し戻って、斎場御嶽の最奥地を目指します。
巨大な岩盤から伸びる2つの鍾乳石。その下には鍾乳石を伝って落ちる聖水を貯めるための壺が2つ置かれています。この聖水は御新下りにも使われました。奥にあるのがシキヨダユルアマガヌビー、手前にあるのがアマダユルアシカヌビー。国王の世継ぎと聞得大君の吉兆を占ったのだそう。
運が良ければ壺に水が滴り落ちるところが見られるかも。
2つの巨大な石が寄り添い合ってできた三角形の不思議な空間。ここを通り抜けた突き当りが最も神聖とされる場所。
三角形の空間を通ると、正面にあるのが三庫理(さんぐーい)。岩の上から香炉に神が降臨するとされる最も格式高い場所。この場所からは金製の勾玉が出土しています。
そして三庫理から左に振り返ると神の島久高島が。ここは特別な場所なのです。
斎場御嶽は祈りを奉げる聖なる場所。香炉や聖水に触れてはいけませんし、ふざけたり、騒いだりしてもいけません。琉球の人々が大切に守ってきた聖地を敬って見学しましょう。島唄にも出てくるでいごの花がきれいに咲いていました。
南城市地域物産館に戻ってきました。1階にはおみやげやフルーツジュースや軽食が。2階はレストランになっています。
サーターアンダギー屋さんもあります。
物産館の隣の南城市体験滞在交流センター「がんじゅう駅・南城」は斎場御嶽についての展示・上映を無料で行っています。ここを見学してから斎場御嶽に行くとより理解が深められます。
琉球衣装体験やちんすこう体験などもできます。
幸せの架け橋からは絶景が。
斎場御嶽の所要時間は駐車場の行き来を含めて1時間~1時間半。定時ガイド(50分程度/有料)が1日10回あるのでおすすめです。